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トルコ共和国カイセリ遺跡調査プロジェクト(KAYAP)


by 紺谷亮一

カテゴリ

全体
はじめに
遺跡数、遺跡立地の変遷
遺跡規模と小地域圏
キュルテペと南西交易ルート
エイリキョイ遺跡
新たな交易都市の発見
総括
参考文献
パブリシティ
未分類

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中央アナトリアの青銅器時代の発展を描いて

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■総括

 KAYAP の初期の段階では、カイセリ県の遺跡分布がキュルテペを求心力とするような状況を呈するだろうと予測していた。しかし、現段階ではキュルテペの、より北方との強い関係が示唆された。キュルテペの大都市化はクズルウルマック川を越えたより北方の状況も視野に入れて考える必要がある。もちろん、キュルテペ発展の背景にはシリアやメソポタミア方面との交易が大きな要因であることは間違いない。しかしキュルテペ文書から古代の交易ルートと推測されたカイセリ東部地域は山間部であり、交易拠点となるような大きな集落は形成されにくい地帯と思われる。遺跡の多くは遺物散布地であり、またアッシリア・コロニー時代に遺跡が激減する。このような状況に加え、B 地域の遺跡状況やコスト距離分析から、南ルートの重要性が浮かび上がってきた。ただし、昨年、そして今年実施した遊牧民の民族調査と考古学調査をより綿密に実施することで、古代におけるこの地域の位置づけが可能になるかもしれない。
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 カイセリ県は、キュルテペの存在感が圧倒的であるため、その他の遺跡もキュルテペに従属する存在であるという先入観があったが、これまでの調査・研究によりいくつかの地位圏が存在する、より複雑な構造を持つ可能性を見いだすことができた。おそらく、冒頭で述べた遺跡の二極化イメージは、北方地域(A)において有効な研究視点になり得るものと考えられ、それ以外の地域についてはまた別の視点が必要になるのかもしれない。今後は遺跡分布の状況、時代的な変遷をより精確に明らかにし、そのうえで各地域間、および各地域とキュルテペとの関係を探っていくことが、キュルテペおよびカイセリ地域、ひいては中央アナトリアの青銅器時代の発展を再構築する有効な視点となるだろう。
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by kontani_santa | 2014-03-09 07:29 | 総括