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トルコ共和国カイセリ遺跡調査プロジェクト(KAYAP)


by 紺谷亮一

カテゴリ

全体
はじめに
遺跡数、遺跡立地の変遷
遺跡規模と小地域圏
キュルテペと南西交易ルート
エイリキョイ遺跡
新たな交易都市の発見
総括
参考文献
パブリシティ
未分類

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分布と規模による類型化

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 遺跡の分布と規模を時期別に比較してみたところ、カイセリ地域はいくつかの遺跡群のまとまりに分類できそうである。ただし遺跡規模については、現在遺丘として目に見える範囲を簡易的な方法で測定したデータによるので、必ずしも各時期の遺跡規模を正確に反映しているわけではない。したがってここでの評価は今後検証すべき予察である。
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 カイセリ県内での遺跡分布は地形的特徴、特に集水域に応じて、おおむね4 地域に分けられそうだ。キュルテペを中心とする、クズルウルマック川流域の北部地域(A)、スルタン・サズルーを取り囲むように遺跡が分布する南西地域(Ba)、ザマントゥ川(Zamantı Irmağı)流域に遺跡が分布する東部地域(Bb)、そして山間部に小規模遺跡や遺物散布地がみられる南東地域(C)である。まず前期青銅器時代の遺跡分布をみてみる。北部のA 地域ではキュルテペが規模的に(約86ha)突出した存在である。キュルテペ以外の遺跡はすべて10ha 以下と、その差は歴然としている。またキュルテペを起点として半径10 km 以内に遺跡が確認できない点も特徴的である。これまで印象として感じていたキュルテペの突出性が明確な地域である。またアリシャル Alişar III 式土器を採取できる遺跡もこの地域に多い。これより南のB 地域やC 地域では一部の比較的大きな遺跡以外ではアリシャールIII 式土器が採取できないことが多い。アリシャールIII 式土器はキュルテペの北方約90 km、ヨズガット(Yozgat)にあるアリシャール・ホユックを標式遺跡とする彩文土器で、キュルテペでは前期青銅器時代の終わり(テペ第11 層)からアッシリア・コロニー時代前半(テペ第8 層/カールム第II 層)にかけてみられる。KAYAP の踏査でアリシャールIII 式土器の分布がキュルテペより南にあまり見られないことから、キュルテペを中心とするカイセリ北部のA 地域は物質文化的により北の地域との関係が深い地域といってよいだろう。

 カイセリ南西から東部にかけての帯状の地域B は20ha を超えるサルテペシ・ホユック(10-13)に次いで、クルトテペシ(10-06)、キルキオレン(11-03)、エイリキョイ(08-12)、カドゥラル・ホユック(10-29)といった10-15ha の遺跡が点在し、さらに5ha 未満の小規模遺跡が分布する。この地域はさらに地形的にスルタン・サズルーを取り囲む地域Ba と、ザマントゥ川流域のBb 地域に分けることも可能であろう。なおスルタン・サズルー北岸にあるイキテペ(10-20 〜 23、12-13)は個々の遺丘は10ha 以下と小型であるが、複数の遺丘や遺物散布地が広範囲に広がる複合遺跡と見てよいであろう。

 南東部のサルズ(Sarız)を中心とするC地域は山間部で、大規模なホユック型遺跡が形成されにくい地形と思われる。実際、ホユックを形成しない遺物散布地が複数確認された。次に中期青銅器時代(アッシリア・コロニー時代)になると、全体の遺跡数が大きく減少する。ただし、10ha 以上の中規模クラスの遺跡は一部を除き、ほとんど継続している。つまり10ha 以下の小規模遺跡ばかりが多数放棄されたといえる。これは小集落を放棄し、それぞれの地域における拠点集落に人口が集中し、都市化が促進されたと考えることができるかもしれない。
 
 
 
 
 
by kontani_santa | 2014-03-13 05:58 | 遺跡規模と小地域圏