トルコ共和国カイセリ遺跡調査プロジェクト(KAYAP)


by 紺谷亮一

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カテゴリ

全体
はじめに
遺跡数、遺跡立地の変遷
遺跡規模と小地域圏
キュルテペと南西交易ルート
エイリキョイ遺跡
新たな交易都市の発見
総括
参考文献
パブリシティ
未分類

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序章:プロローグ

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 トルコ共和国は、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる。首都はアナトリア中央部のアンカラ。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。
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 トルコ中央部にそびえるエルジェイズ山Ercyes は標高3,919mで、日本の富士山や大山にも似た美しい山である。
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 エルジェイズ山の麓に広がるカイセリ県は、各所にローマ時代の記念物が残る歴史的都市である。
同時にカイセリは近年急速な発展を遂げ、高層建築が林立する近代都市へと変貌した。
 キュルテペ遺跡はカイセリ県中央北寄りに位置する。1948 年以来現在まで、60年以上にわたり発掘調査が続いている。その結果この遺跡が、前期青銅器時代からローマ時代にいたるまで中央アナトリアに栄えた古代都市カニシュであったこと、アッシリア商人の居留区カールムを拠点に広範な交易活動が行われたこと、などがわかっている。
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 2008 年、カイセリ県内の遺跡・史跡を踏査するプロジェクトKAYAP(Kayseri Arkeolojik Yüzey Araştırması Projesi)が開始された。カイセリ県内の遺跡・史跡のデータベース化、キュルテペ遺跡の発展を主眼とする同遺跡周辺の居住史の把握、そして前2千年紀前半(アッシリア・コロニー時代)におけるアナトリア-シリア-メソポタミアの間に構築された交易ルートを明らかにすることを目的としている。
 遺跡および周辺を踏査し、収集した地理情報や考古資料をGIS により統合し、様々な分析を試みながら上記の課題に取り組んでいる。
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 考古資料の表面採集と平行して、地理情報の充実にも力点を置いている。DGPS(ディファレンシャルGPS)とLRF(レーザー・レンジ・ファインダー)を組み合わせた地形測量は、持ち運びも容易な小型の機器、少ない人員と短い作業時間で、精細な地形データの記録を可能にした。
 
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-15 04:33 | はじめに

2008年-2012年までの踏査遺跡

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 2008年~2012 年までの踏査遺跡(106 件)の帰属時期を、採集した土器片で判定したところ、前期青銅器時代以前18 件、前期青銅器時代57 件、中期青銅器時代(アッシリア・コロニー時代)31 件、後期青銅器時代24件、鉄器時代51 件、ローマ時代49 件となった。カイセリ県内においては前期青銅器時代以前には遺跡が少なく、前期青銅器時代に遺跡が急増し、中期青銅器時代、後期青銅器時代に減少し、鉄器時代に再び増加するという動向がみられた。
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 一方、遺跡の立地条件に関する予備的な分析では、カイセリ県内の遺跡は時代が下るにつれ、より低く、傾斜のなだらかな場所を好むようになる傾向がうかがわれた。特に前期青銅器時代からその動向が明確になるようだ。前期青銅器時代に遺跡分布の大きな変化があったことがうかがわれる。
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-14 05:34 | 遺跡数、遺跡立地の変遷

分布と規模による類型化

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 遺跡の分布と規模を時期別に比較してみたところ、カイセリ地域はいくつかの遺跡群のまとまりに分類できそうである。ただし遺跡規模については、現在遺丘として目に見える範囲を簡易的な方法で測定したデータによるので、必ずしも各時期の遺跡規模を正確に反映しているわけではない。したがってここでの評価は今後検証すべき予察である。
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 カイセリ県内での遺跡分布は地形的特徴、特に集水域に応じて、おおむね4 地域に分けられそうだ。キュルテペを中心とする、クズルウルマック川流域の北部地域(A)、スルタン・サズルーを取り囲むように遺跡が分布する南西地域(Ba)、ザマントゥ川(Zamantı Irmağı)流域に遺跡が分布する東部地域(Bb)、そして山間部に小規模遺跡や遺物散布地がみられる南東地域(C)である。まず前期青銅器時代の遺跡分布をみてみる。北部のA 地域ではキュルテペが規模的に(約86ha)突出した存在である。キュルテペ以外の遺跡はすべて10ha 以下と、その差は歴然としている。またキュルテペを起点として半径10 km 以内に遺跡が確認できない点も特徴的である。これまで印象として感じていたキュルテペの突出性が明確な地域である。またアリシャル Alişar III 式土器を採取できる遺跡もこの地域に多い。これより南のB 地域やC 地域では一部の比較的大きな遺跡以外ではアリシャールIII 式土器が採取できないことが多い。アリシャールIII 式土器はキュルテペの北方約90 km、ヨズガット(Yozgat)にあるアリシャール・ホユックを標式遺跡とする彩文土器で、キュルテペでは前期青銅器時代の終わり(テペ第11 層)からアッシリア・コロニー時代前半(テペ第8 層/カールム第II 層)にかけてみられる。KAYAP の踏査でアリシャールIII 式土器の分布がキュルテペより南にあまり見られないことから、キュルテペを中心とするカイセリ北部のA 地域は物質文化的により北の地域との関係が深い地域といってよいだろう。

 カイセリ南西から東部にかけての帯状の地域B は20ha を超えるサルテペシ・ホユック(10-13)に次いで、クルトテペシ(10-06)、キルキオレン(11-03)、エイリキョイ(08-12)、カドゥラル・ホユック(10-29)といった10-15ha の遺跡が点在し、さらに5ha 未満の小規模遺跡が分布する。この地域はさらに地形的にスルタン・サズルーを取り囲む地域Ba と、ザマントゥ川流域のBb 地域に分けることも可能であろう。なおスルタン・サズルー北岸にあるイキテペ(10-20 〜 23、12-13)は個々の遺丘は10ha 以下と小型であるが、複数の遺丘や遺物散布地が広範囲に広がる複合遺跡と見てよいであろう。

 南東部のサルズ(Sarız)を中心とするC地域は山間部で、大規模なホユック型遺跡が形成されにくい地形と思われる。実際、ホユックを形成しない遺物散布地が複数確認された。次に中期青銅器時代(アッシリア・コロニー時代)になると、全体の遺跡数が大きく減少する。ただし、10ha 以上の中規模クラスの遺跡は一部を除き、ほとんど継続している。つまり10ha 以下の小規模遺跡ばかりが多数放棄されたといえる。これは小集落を放棄し、それぞれの地域における拠点集落に人口が集中し、都市化が促進されたと考えることができるかもしれない。
 
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-13 05:58 | 遺跡規模と小地域圏

地表傾斜を考慮したコスト距離による分布状況分析

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 KAYAP では当初、遺跡分布が単純に交易ルートを投影するものと考えていた。特にキュルテペ文書に記載されている、マラシュ地域にあったとされるママ国との書簡でうかがわれる、北シリアや北メソポタミアとの活発な交易を裏付けるべく、カイセリの東および南東部、カイセリ―マラティア幹線道路上で多くの遺跡が存在すると期待していた。だが、この地域は山間地であるためか遺跡数そのものが希薄であり、ホユックを形成しない遺物散布地が主体的であり、交易ルートとして発達した様相を見いだすことはできなかった。その一方で我々はカイセリ南西部、スルタン・サズルーが広がるデヴェリ平原(DeveliOva)で、エイリキョイと、新たにイキテペ(10-20 ~ 23, 12-13)というコロニー時代の大都市を確認した。
 ここで、KAYAP で踏査した遺跡についてキュルテペを起点とした位置関係を検討した。図は単純な直線距離による遺跡分布、

■直線距離によるキュルテペ遺跡を起点とする各遺跡の位置関係
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図 は地表傾斜を考慮したコスト距離による分布状況である。

■地表面傾斜を考慮したコスト距離によるキュルテペ遺跡を起点とする各遺跡の位置関係
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 直線距離では、キュルテペからおおむね30 ~ 60 km の間に遺跡が多く分布している。しかしエイリキョイは約80 km の距離にあたり、比較的遠い遺跡群に属することになる。ところが地形(傾斜)を考慮したコスト距離に変換すると、エイリキョイやイキテペのキュルテペからの相対的距離は縮まり、遺跡の集中する距離帯に属することがわかった。

 以上のことから推測すると、キュルテペにとって、エルジエス山の南西を迂回し、デヴェリ平原西部を通り、タウルス山脈を越えて地中海に至る交易ルートが重要な候補として浮かびあがってくる。またザマントゥ川沿いにクルトテペシ(10-06)という比較的大型の遺跡がこつ然と存在する。コスト距離的にもアクセスしやすいルートでありまたヒッタイト帝国期の岩壁レリーフがこの川の谷沿いに点在している。KAYAP の調査で確認できた遺跡数は少ない地域ではあるが古代の交通路のひとつとして機能していた可能性は高い。
 
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-13 01:28 | キュルテペと南西交易ルート

キュルテペ遺跡に匹敵する都市遺跡

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 カイセリ県南部に位置するエイリキョイ遺跡では、前期青銅器時代からローマ時代にかけての資料が採集された。
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 予測される遺跡の居住時期、規模などから、キュルテペ遺跡に匹敵する都市遺跡である可能性がある。KAYAP で踏査した遺跡の中でも最重要遺跡のひとつとして位置づけており、さらに詳細な情報を得るためGPR(Ground Penetrating Radar)探査を実施した。その結果、帯状に伸びる強い反応を地表下0.5~0.8m の深さで捉えた(右図anomaly-E)。北側の地表に露出している石列と同じ等高線上に位置することから、人工的な石壁(市壁)の可能性がある。
 
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-11 07:08 | エイリキョイ遺跡

「2つの丘」イキテペ

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■新たな交易都市の発見!「イキテペ」
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 イキテペとはトルコ語で「2つの丘」という意味で、実際に大小2つの遺丘が東西に並んでいる。カイセリの南西約40km、エルジェイズ山の南西裾野の「スルタンサズルー」という湖の北岸にある。

 イキテペで採集された土器片の多くはアッシリア・コロニー時代、キュルテペ遺跡のカールムⅡ層、Ⅰb層とほぼ併行する時期のものであった。エイリキョイと同様、地中海方面からタウルス山脈を越えて中央アナトリアに至る交通の要所である。

 2011 年の調査で地表面に露出している石列を確認した。GPS により範囲を測定してみると、遺丘を取り囲むように配されていることが分かった。北部、南部では門らしきものが確認できた。また四角い部屋のようになっている部分もあった。これは「箱型壁」と呼ばれるアッシリア・コロニー時代の都市にみられるものとよく似ており、都市の周壁の可能性がある。

 キュルテペ文書では、アナトリアには十数カ所のカールム(アッシリア商人居留区)があったという。現段階で地名が確実に同定されているのはボアズキョイ(ハットゥシャ)、アジェムホユック(プルシュハンダ)、キュルテペ(カニシュ)のみである。遺跡の規模や周壁の存在から、イキテペはアジェムホユックとキュルテペの間に存在するカールムをもつ交易都市であった可能性がある。今後詳細な地形測量とGPR(地中レーダー)探査などを行い、さらに詳しく調べていく。
 
 
 
 
 
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# by kontani_santa | 2014-03-10 07:14 | 新たな交易都市の発見

中央アナトリアの青銅器時代の発展を描いて

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■総括

 KAYAP の初期の段階では、カイセリ県の遺跡分布がキュルテペを求心力とするような状況を呈するだろうと予測していた。しかし、現段階ではキュルテペの、より北方との強い関係が示唆された。キュルテペの大都市化はクズルウルマック川を越えたより北方の状況も視野に入れて考える必要がある。もちろん、キュルテペ発展の背景にはシリアやメソポタミア方面との交易が大きな要因であることは間違いない。しかしキュルテペ文書から古代の交易ルートと推測されたカイセリ東部地域は山間部であり、交易拠点となるような大きな集落は形成されにくい地帯と思われる。遺跡の多くは遺物散布地であり、またアッシリア・コロニー時代に遺跡が激減する。このような状況に加え、B 地域の遺跡状況やコスト距離分析から、南ルートの重要性が浮かび上がってきた。ただし、昨年、そして今年実施した遊牧民の民族調査と考古学調査をより綿密に実施することで、古代におけるこの地域の位置づけが可能になるかもしれない。
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 カイセリ県は、キュルテペの存在感が圧倒的であるため、その他の遺跡もキュルテペに従属する存在であるという先入観があったが、これまでの調査・研究によりいくつかの地位圏が存在する、より複雑な構造を持つ可能性を見いだすことができた。おそらく、冒頭で述べた遺跡の二極化イメージは、北方地域(A)において有効な研究視点になり得るものと考えられ、それ以外の地域についてはまた別の視点が必要になるのかもしれない。今後は遺跡分布の状況、時代的な変遷をより精確に明らかにし、そのうえで各地域間、および各地域とキュルテペとの関係を探っていくことが、キュルテペおよびカイセリ地域、ひいては中央アナトリアの青銅器時代の発展を再構築する有効な視点となるだろう。
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# by kontani_santa | 2014-03-09 07:29 | 総括

参考文献一覧

■Kontani.R, H. Sudo, Y. Yamaguchi, Y. Yamaguchi and T. Odaka 2014 "An Archaeological Survey in the Vicinity of Kultepe, Kayseri Province, Turkey"  Current Research at Kultepe- Kanesh, pp.95-106. Lockwood Press(ASOR).

■紺谷亮一、クトゥル・エムレ、フィクリ・クラックオウル、津村宏臣 2009 「トルコ共和国カイセリ県における考古的一般調査2008(プロジェクト名:KAYAP)」『ノートルダム清心女子大学紀要文化学編』33(1): 37-46 頁。

■紺谷亮一、クトゥル・エムレ、フィクリ・クラックオウル、須藤寛史、山口雄治、津村宏臣、岸田徹、早川裕弌 2010 「エイリキョイ遺跡における考古地理学的調査―トルコ共和国カイセリ県における一般調査の一成果―」『岡山市立オリエント美術館研究紀要』24: 91-108 頁。

■紺谷亮一、クトゥル・エムレ、フィクリ・クラックオウル、須藤寛史、山口雄治、早川裕弌 2011 「トルコ共和国カイセリ県における一般調査(KAYAP)概報―第3 次調査(2010 年)と過去3 シーズンのまとめ―」『岡山市立オリエント美術館研究紀要』25: 15-29 頁。

■紺谷亮一、須藤寛史、山口雄治、早川裕弌、フィクリ・クラックオウル、クトゥル・エムレ、サバハッティン・エゼル、ギュゼル・オズトゥルク 2012 「トルコ共和国カイセリ県遺跡調査プロジェクト(KAYAP)第4 次調査(2011 年)概報」『岡山市立オリエント美術館研究紀要』26: 41-62 頁。

■紺谷亮一、小髙敬寛、須藤寛史、早川裕弌、山口雄治、フィクリ・クラックオウル、クトゥル・エムレ、サバハッティン・エゼル、ギュゼル・オズトゥルク 2013 「トルコ共和国カイセリ県遺跡調査プロジェクト(KAYAP)第5 次調査(2012 年)概報」『岡山市立オリエント美術館研究紀要』27: 15-42頁。
 
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# by kontani_santa | 2014-03-08 07:31 | 参考文献

山陽新聞 2013/04/18 朝刊 文化欄掲載

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# by kontani_santa | 2014-03-07 07:44 | パブリシティ

山陽新聞 2012/08/02 朝刊 文化欄掲載

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# by kontani_santa | 2014-03-05 02:31 | パブリシティ